『クロコダイル路地(講談社文庫)』:皆川博子
はじめまして、ながれです。
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『地底人とりゅう』では私の読書本紹介をメインに投稿していきます。
本日は私が夏の冷房よりも渇望してやまない皆川博子先生の、『クロコダイル路地』をご紹介します。
今年1月、レンガのように厚い身なりで文庫化されたこの本の中には、フランス革命という激動の時代に、異なる時間を生きた人々の「一生」が詰まっています。
描かれる登場人物たちはみな非常に個性豊かで魅力的であり、『クロコダイル路地』にしてみても、脇役などいない、一人一人が主人公とも言える物語となっています。
人々は正義のため、生きるため、復讐のために人を殺しますが、その行為に麻痺してしまえば、誰しも自分を見失ってしまいます。
絶望のどん底のようなこのストーリーを、たった一言で表さなければならないとすれば私は、「希望」の物語であると答えます。
読後、ジョージ・フレデリック・ワッツの「希望」の絵を思い出しました。
この本を読む前、同じ著者の『彗星図書館』という本を読んで初めてその絵を知りましたが、『クロコダイル路地』はまさに「希望」の絵のような本だったのです。
視力を失った少女が、一本の弦だけ残されたボロボロのハープの音に耳を傾けているその絵を見て、「絶望」という名の方がふさわしいのではないかと思う人は多いでしょう。
けれどあの絵は、「希望」と「期待」は似て非なるものであることを表しています。
>上っ面の希望は根拠もない期待。
期待は、他から与えられるのを待つ姿勢。
希望はそうじゃない。絶望の中にあって自ら創りだす。
(引用:彗星図書館)
物語の中で、死は悲しむ暇もなくあっけなく訪れ、現実の世界と同じように、時は止まることもなく流れていきます。
読者を泣かせるような感動的な描写はあえて省かれ、暑い日に冷房のスイッチを入れるような自然な流れで、たった一行で、一人の主人公の死が過ぎ去っていく。
登場人物の一人、エルヴェの
「一つの事実に、どちらから光を当てるかで、評価は正反対になる」
という言葉は、『クロコダイル路地』の核心を突いています。
読み終わってしまいたくなかった。
だけど読むことができて良かった、心からそう思える本でした。