地底人とりゅう

「地底人とりゅう」は、日々の読書本を記録していくために開設した個人ブログです。書店では入手困難な古書の紹介もぽつぽつと投稿しております。

『イノセント・デイズ(新潮文庫)』:早見和真

「死にたい」と、たしかにそう聞こえた。
帰宅途中のホームのベンチで、私は携帯のLINE画面から視線をあげる。
それがすぐ隣でもたれるように座っていた女性の声だと気付くと、私はそのぽっかりと開いた空洞のような瞳に釘付けになった。
地下鉄の蛍光灯の下でその黒い瞳は、まるで線路だけが特別な意味をもっているとでもいうように、ホームの崖端をじっとみつめて動かない。
周囲に人がいることなんて、気付いてもいないようだった。

一瞬、その瞳の下で唇が震えたかと思うと、また聞こえてくる。
「死にたい、死にたい、死にたい」と呟く声が、群衆の靴音でかき消されていく。
私はたまらず怖くなった。
やってきた電車に飛び乗るようにして逃げこんだ私は、動きだす電車の窓から、ホームに残った彼女の姿を見送った。

 

イノセント・デイズ (新潮文庫)

イノセント・デイズ (新潮文庫)

 

 

『イノセントデイズ』(新潮社)は、主人公である田中幸乃が、ある日突然大好きな母親を失ってしまうことから運命の歯車がまわりだす。
たちまち救いようのない不幸が彼女の身のまわりを支配し、幸福が、急速度で奈落の底に転がり落ちていく。
読者はささやかな希望を抱くたびに、田中幸乃の瞳の中に存在する、深い暗闇の空洞に落とされるはずだ。
優しく美しく、誰からも愛される女性だった田中幸乃は、世界中を敵にまわす最悪な決断をとってしまう。

 

人は辛いことを経験しすぎてしまうと、我慢することに慣れていく。
やがて我慢することで安心し、我慢しなければ不安になり、とうとう幸せになるのが怖くなってしまう。
『イノセントデイズ』を読んでから、私は自分があの日どうするべきだったのか、ますます分からなくなってしまった。
「生きてたらきっと良いことがあるよ」という言葉は、他人が言うにはあまりにも無責任で偽善的な台詞なんじゃないだろうか。
同じ場所に立ってもいない人間が、運命に抗うことがいかに過酷なものか、どうして想像できるだろう。

 

今、
地下鉄の車内では女子高生たちが「まじ、超死にたいんだけど」と笑い合っている。
彼女たちは、朝髪型がきまらなければ死にたくなるし、気になる男子に送ったLINEの返事が短いというだけで死にたくなるようだ。
私はあの日、ベンチに座って線路をみつめていた女性に、声をかける勇気がどうしてももてなかった。


人の心を救うことは、命を救うよりも困難だ。
一時は救えたようにみえても、自殺願望は根を張っている。
長期間救い続ける忍耐強さと、責任をもてないくらいなら、伸ばしかけたその手はひっこめた方が良いのだろうか。

 

朝になると、駅の電光掲示板には人身事故の4文字が無機質に点滅し、人々を落胆させていた。
あの時の女性だったのかどうかは知りたくもないけれど、当時新社会人だった私はあの空洞のような瞳を見て、薄っぺらい正義感だけでは「届かないんだ」と思ったことを覚えている。

 

 

@ながれ