『深い穴に落ちてしまった』(東京創元社) :イバン・レピラ
深さ7メートル、 すり鉢を逆さにしたような形の穴がある。
ある日兄弟は、到底出られそうもないその穴の底に落ちてしまう。
不思議な本と出逢ってしまった。
大人向けの寓話『深い穴に落ちてしまった』は、
童話のような読みやすい文体でありながら、ぞっとするほど恐ろしい内容である。
素直に読めば漠然としていてよくわからない、不気味ではあるがシンプルで退屈な物語だと思うかもしれない。
しかしその実態は、政治や経済的格差を表している。
兄弟が唯一持っている袋の中には、パンと乾燥トマトとイチヂクと、それからチーズが入っている。
木の根や虫を食べて極限の環境下でミイラのように生きながらえながら、母に渡す予定だったその袋にだけは、決して手を出さない。
兄弟はどうしてそれを食べようとしないのか。
読んでいると、他にも多くの謎が浮かびあがってくる。
不自然な章タイトル、名前や年齢の明かされない兄弟、何度も繰り返される袋の中身、精神錯乱状態の弟が発した暗号のような言葉、そして彼らはなぜ、穴に落ちたのか。
『深い穴に落ちてしまった』はミステリー小説ではない。
それなのに読者は、1日もあれば読み終えてしまえるだけの文章の中に、多くのメッセージが隠されていることに気付く。
狂気、感動、驚愕、虚無、絶望、愛、苦辛、それらが全て集まってこの本になったとでも言うような、生々しい革命の目色をしている。
上界から遮断されたこの小さな穴の世界はまるで、ピラミッドの最下層に属する無法地帯を示しているように思う。
名前や年齢もわからない兄弟に置き換えられたのは、不本意にも下界に産み落とされてスラムを生きる貧困層、ないしは政治に踊らされる無力な我々自身のようだ。
それによく見ると、章番号は素数のみで構成されている。
穴の中で兄弟が過ごした日数だろうか。
だとすれば、始まりが1ではなく、最後が97で終わっているのには、いつから嵌まってしまったのかわからない、終わることのない永遠の格差社会を連想させる。
弟が妄想の中で発言する不可思議な言葉の数々も、狂人の発言だと思って聞き逃すことができない。
奇妙な数字の羅列にも、やはり隠されたメッセージがあった。
答えを知るには、ある法則に気付く必要がある。
そういえば、物語冒頭で何度も繰り返された袋の中身が気になった。
私はそのひとつひとつを聖書と照らし合わせてみることで、自分なりに納得のいく答えをみつけられたような気がしている。
『深い穴に落ちてしまった』は、読み返すたびに新たな発見があり、読者の数ほど異なる解釈が生まれる本だった。
@ながれ