『わたしは灯台守』(水声社):エリック・ファーユ
カミュの『異邦人』の言葉を借りるならば、人間の生にはなんらの確たる意味も根拠も目的もない。
『わたしは灯台守』はそんな、人間世界の無意味性を訴えかけてくるような本である。
灯台守のわたしと陸地に住む人間たちの関係は、根源的な人間と世界の関係そのものなのだ。
この本に収録された9篇の物語には必ず、主人公が置かれた世界とは別の、未知の世界が存在している。
異界の姿を見たと言う者は、今まで誰一人いないという。
そんな未開の地に惹かれて、主人公たちは歩きだす。
しかしその道中は、想像以上にかなり険しい。
ある者は電車から飛び降り、ある者は何日もかけて階段をあがり、ある者は身元消滅課で名前を忘れなくてはならないという。
興味本位で階段をあがる人々は大勢いる。
その誰もが最上階へ向かうことを道半ばで諦め、あるいは恐くなって引き返していく。
目的の場所が近づくにつれ、気付くと主人公の周囲から他者が減っている。
ギリギリのところで迷いをみせた者たちは、どういうわけか死んでしまった。
もう戻ることのできない場所まで来てしまったのだ。
彼らは結局、どこへ向かっているのだろう。異界とは一体なんなんだ。
非常に読みやすくてどの話も面白いのに、胸にもやもやするものを抱えながら読み続けるのは苦しかった。
表題作の『わたしは灯台守』を読んで、ようやくその場所にぴんときた。
なぜなら灯台守こそがただ一人、他の主人公たちが向かおうとした、まさにその場所にいたのだから。
彼らはここに来たかったんだ。
孤独という名の、無垢な虚無の世界に。
灯台を除けば、
この風景の中で永遠に変わらないものなど何もないだろう。
それぞれの主人公たちはみな、世界の無理解と嘲笑をものともしない、たった一人の反乱分子だ。
彼らは自ら孤独を選び、他者という取るに足りないものを決然と拒絶している。
そう、人間社会で起こりえることの全ては、彼らにとって「取るに足りないもの」でしかなかったのだ。
灯台はそういう人にとって、この上ない理想郷だった。
そんな理想郷を手に入れた灯台守が唯一恐れていたことは、いつか自分だけの孤独が、不吉な他者の存在によって奪われてしまうかもしれないことだ。
どんなに頑丈な砦を持ってしても、孤独をいつまでも続けることはできないのかもしれない。
どこかできっと、人間社会に呼び戻される日がきてしまう。
だから灯台守も例外ではなかった。
他にも様々な角度から読み取ることはできるだろう。
読む者は、本物の孤独を手にした狂人の独白に畏怖するかもしれない。
けれど当人たちは果たして恐れていたのだろうか。後悔しているそぶりはない。
そんな彼らにほんの少し憧れる。
それでもわたしは登りかけた階段を降りていく、他者という名の大衆のひとりとなるだろう。
@ながれ