『吸血鬼』(講談社):佐藤亜紀
『吸血鬼』という名のタイトルがあてがわれたこの物語の中には、十字架や聖水を嫌う吸血鬼の姿は出てこない。
人の生き血を啜る醜い化け物の正体を知るのは、餌食となる哀れな被害者たちだけである。
舞台は1846年、ガリチアの都会から遠く離れた村、ジェキ。
そんな僻村地に、新しくお役人として任ぜられたドイツ系の紳士、ヘルマン・ゲスラーは、エルザという名の歳の若い妻を連れてジェキに降り立ち、領主の元へ挨拶に行く。
かつて詩人であったアダム・クワルスキはジェキの領主でありながら、ポーランドの生まれであり、彼には農民出のウツィアという妻がいる。
しかし、ジェキの村民はいまだルテニア語を母語としており、ゲスラーはルテニア人の下男、マチェクを助手として通訳を担わせた。
そのルテニア語の訛りのひどさを、本作では日本の方言を使ってあらわされている。
こうして登場人物を並べたてただけでも、ルテニアの複雑な時代背景が浮かび上がってくるが、文章内での細かい説明はほとんどされない。
バレエの舞台をあらすじも知らずに見るようなもので、ある程度その時代についての知識は事前に入れておく必要はあるかもしれない。
少なくとも、知らないで読み始めるよりかは、知った上で読んでみた方が物語は非常に巧妙に描かれていることがわかるだろう。
信仰が死滅した、美しいが貧しいこの村には、風変わりな迷信が囁かれていた。
その風習を利用して、ゲスラーはジェキの人たちの貧困を救いたいと奮闘する。
余波はこの村でただ一人の富豪、クワルスキの目指す未来と農民の望み、そしてゲスラーとの間に3種の隔たりを生む。
生活格差という起伏を前にして、3種の利害が一致することなどあり得ただろうか。
その微かなずれの狭谷から生まれた奈落の底が、取り返しのつかない闇を吐き出す。
まるで近代戯曲のワンシーンのように、得体の知れない闇は踊り、物語は迫力と緊張感をもって進んでいく。
悍ましくも精巧な吸血鬼であった。
@ながれ