地底人とりゅう

「地底人とりゅう」は、日々の読書本を記録していくために開設した個人ブログです。書店では入手困難な古書の紹介もぽつぽつと投稿しております。

『悪童日記』(早川書房):アゴタ・クリストフ

物語の底気味悪さは、童話のような読みやすさであればあるほど際立ってくる。

悪童日記』はタイトルどおりの物語だが、その日記を綴っている悪童は、まだ幼い双子の少年たちだ。

二人が言う「ぼくたち」は一人称として使われていて、何をするにも一緒に行動していく。

戦禍のなか彼らが母親に連れられて辿り着いた先は、風呂もトイレもない、孤独と悪臭の染みついた祖母の家だった。彼らの日記はここからはじまる。

  『悪童日記』は冒頭から、依って立つべき正常のない物語なのだ。

 

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 

 

町民から<魔女>と呼ばれる祖母には、過去に夫を毒殺したという噂がある。

悪態はつくが働き者のおばあちゃんに倣って、双子も非常によく働く。

どこか大人びている二人の子どもは、自力で生活を整えていく。

たちどころに読み書きを覚え、町民たちからの罵詈雑言に耳を慣らし、祖母からの暴力に耐えるために、痛みに慣れる訓練もする。次々に新しい国の言語を学び、あらゆる手段で金も稼ぐ。交渉術などお手のもので、大人を相手に物資を克ち取る。

会得するもののなかには子どもが学ぶべきではない残忍な儀式もあるけれど、彼らは淡々と生きる術を身につけていく。 

感情や主観は一切省き、自分たちの日記には、ただ事実だけを記していった。

純粋な子どもたちだからこそ導きだした、彼らの解決手段が恐ろしい。

 

ハンガリー生まれのアゴタ・クリストフは、幼少期を第二次大戦の戦禍の中で過ごし、1956年には社会主義国家となった母国を捨てて西側に亡命している。

 

悪童日記』は歴史小説ともとれるが、その年代、国名、収容所に向かう人々の列の正体などは伏されていて、どちらかというと寓話に近い。

そのひとつひとつを著者本人の幼少期と照らし合わせれば、自然とヨーロッパ現代史が浮かび上がってくる。

支配者がナチスからソ連へ変わったところで、子どもたちにとって不条理な境遇に置かれていることは何も変わらない。

賢く生きていく双子の素行は、大人たちへの復讐ともいえる。

当時の子どもたちは、この美しい双子のように強くいられただろうか。

彼らを怖いと感じてしまうのは、戦争を知らない現代の私たちが豊かな恵みを受けている確たる証拠なのだ。

 私はもちろん、戦争の悍ましさを知らない多くの読者は、彼らの日記を自分とは無関係の出来事だと思って読んでいるからこそ得体の知れない狂気を感じる。

私たちは、本当はちっとも無関係なんかじゃないことを、知ってしまうのが怖いのだ。

けれど、目を反らしていたいと願う私たちを、双子の少年たちは赦してはくれない。

忘れることも同罪だと、ふたりの声が聞こえたような気がした。

 

 

@ながれ