『蜩ノ記』(祥伝社文庫):葉室麟
直木賞受賞後、映画化もされた名作『蜩ノ記(ひぐらしのき)』は、私が時代小説に初めて恋をした、思い入れの深い一冊である。
罪を犯し、命の期限を定められた男、戸田秋谷(とだ しゅうこく)の目付役として嘱託された壇野庄三郎(だんの しょうざぶろう)は、彼もまた切腹を免れこの地に送られてきた罪人の身の上だった。
三浦家譜を完成させた10年後の切腹の日を前に、秋谷が逃げだしてしまわぬよう見張るつもりでやってきた庄三郎だったが、会った瞬間から秋谷の公明正大な人柄に惹かれ、おのずと敬慕の情を寄せる。
このひとは、おのれの命の期限を定められてもなお、
自分の生き方を変えていない。
戸田家との出逢いで、凜々しく誠実な人となりへ成長していく庄三郎の姿と、周囲の人々の想いの花が、読者の胸の中で次々と芽吹いていく。
秋谷を知った者は、みな良くも悪くも変わっていった。
妻織江と秋谷の間に結ばれた信頼という名の強い絆の糸は、清らかで甲斐甲斐しく、憧れるほど穢れがない。
秋谷の息子郁太郎は、幼いながらも雄々しく、小さな身体には大人顔負けの武士(もののふ)の心を宿している。
そんな郁太郎の親友で、源吉という百姓の少年は、これがまたとんでもなく良い奴で、大人こそ見習うべきにふさわしい、実らしい人物なのだ。私は源吉が大好きである。
一方、庄三郎は秋谷の娘薫に想いを寄せていた。
ある日突然、死に神のようにやってきた庄三郎の恋心を、薫は受け入れることができるだろうか。
美しい家族の絆と男の友情が、なにかを守りたいと願う魂の篝火が、力強い太鼓の震音とともに燃え上がっていく。
不条理の世で、彼らは幸せそうだった。
今からでも、私も同じように生きられるだろうか。
@ながれ