『アサイラム・ピース』(ちくま文庫):カヴァン・アンナ
孤独と絶望で生まれたおどろおどろしい生き物が、行間のそこここで呼吸しているのを感じる。
『アサイラム・ピース』は、
水面に落ちた一滴の墨と同様に、迷路のように曲がりくねって、たちまち始まりがわからなくなる。迷えば一点の光も失って、一面が闇に染まってしまう。そうなると、水面下にある光に気付けなくなる。
だから万が一にも、帰り道を見失うことにならないよう、覚悟を持って読まなければいけない。
アンナ・カヴァンのおぼつかない精神の世界に誘い込まれてしまわぬように。
役者山田和子のあとがきによると、アンナ・カヴァンは終生のヘロイン常習者だった。
幼少期の家庭状況は今でいうネグレクトで、最期は自らのベッドの上で突然死を遂げている。枕元にはヘロインがあった。
いくつかの短編の中で、「変容する家」の主人公の見解は特に興味深く、我にもなく引き込まれそうになる。一部抜粋しよう。
私のまわりでとぐろを巻くように包囲網を狭めてくる家は、私が逃げられないことを知っている。 その石の織物の内にとらえられた私は小さな虫けらでしかない。 宿主の側では、 そんなものを体内に置いておきたいなどとはまったく思わない寄生 虫。私が排出される時はまだきていない。しかし、 数ヶ月後か何年後か、家は、その凍った腸(はらわた) の内で私を消化し、 フクロウが吐く食べかすのように吐きだすだろう。
時々、思わず笑い出してしまいそうになることがある――そう、家が何の変哲もない昼の光の中で、 新しいほうの顔を見せている時には。 だまされる人などとうていいるとは思えないこんなまやかしに執着 しているなんて、まるで子供もいいところではないか。
不条理な運命に翻弄されたアンナ・カヴァンの心の叫びが、金切り声となってこのいたたまれない作品を生みだしている。
その一篇一篇を最後まで目をそらさずに読むことが、私にできる唯一の彼女への弔いだった。
『アサイラム・ピース』は、精神病療養所への自身の入院体験にもとづいて綴られたもので、閉鎖空間での人間の損壊が生々しいほどにリアルに描かれている。
仕合わせとはどういうものかを知らなければ、彼女から見えている世界を覗こうにも、かえって暗すぎて見えないかもしれない。
@ながれ