地底人とりゅう

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原作『風の谷のナウシカ(全7巻)』(徳間書店):宮崎駿

原作「風の谷のナウシカ」は、ジブリ作品の中でもとりわけ世界観が非常に細かく、宮崎駿が13年もの歳月をかけて完結した超大作の連載漫画です。
 
風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

 

 

主演、尾上菊之助さんの予期せぬアクシデントはありましたが、昨年「ワンピース」や「ナルト」で大成功を収めた事実もあり、スーパー歌舞伎ナウシカ』の注目度はかなりのもの。
その人気ぶりはもはや正規ルートでの購入が厳しいほどで、私も知人にお願いしてなんとか入手することができました。
映画のナウシカとは違い、原作版のナウシカを昼夜通し完全上演するとあって、「5年越しの夢の実現」への意欲を感じます。
 
 
では、誰もが一度は観たことがあるであろう映画版『風の谷のナウシカ』の内容を、さらっとおさらいしておきましょう。
腐海の瘴気に脅かされる世界でさえ、人々は欲望に駆られ、戦争を続けていました。
敵国であるトルメキア王国は、戦争に腐海を利用できないかと王蟲(オウム)の群れを誘き寄せ、風の谷を滅ぼそうとします。
秘石をつかって自ら最強兵器として蘇生させた巨神兵王蟲たちを制御できず、哀れな人類が滅亡の瞬間を迎えようとしていた時、風の谷の姫ナウシカに救われ、トルメキアの皇女クシャナは自身の過ちに気付きました。
蟲たちも大好きなナウシカに免じて帰るべき森へ引き返し、物語はハッピーエンドで幕を閉じます。
 
ところが幼少期からひねくれ者の私には、この映画のエンディングが、ナウシカ生還の喜びで色々誤魔化されているような気がしてなりませんでした。
人間同士の争いは止んだけど、一丸となって腐海を根絶していく流れでもなし、結局瘴気も蟲たちもそのままだったら、遅かれ早かれみんな死んじゃうんじゃん? と幼心に思っていたわけです。なんて可愛げのない恐ろしい子
 
 
ですがこの映画版と、原作は全くの別ものでした。
ここから先は、ネタバレがあります。
原作を読む時間がない人、もしくは読み終わったけどいまいち最後がわからなかったという人だけ読み進んで下さい。
というのもこの原作、とてつもなく深く、壮大なスケールで描かれているため、私自身もう一度読み返さないと理解できていないかもしれないからです。
原作を読んで、私は宮崎駿の創造力が恐ろしくなりました。神がいるとすればこんな人なのでしょうか。
結末をハッピーエンドとみるか、バッドエンドとみるかは、個人の見解にもよりますが、内容を理解できているかどうかで意見は大きく分かれるはずです。
創造主である宮崎駿は一体どちらを選んだのか、私には正解がわかりません。
ですが、私の目にはやはり人類の滅亡を物語っているようにみえました。
あくまで私の見解ですが、映画版との違いを定義しつつ、内容を紹介します。
※ネタバレ注意!
 
 
私たちの未来、巨大な産業文明は、「火の七日間」と呼ばれる戦争によって滅びました。
大地のほとんどは巨大な蟲たちが蔓延り、有毒な瘴気を発する菌類の森、「腐海」に覆われます。
そんな状況でさえ人間同士の争いはやむことはなく、トルメキア王国と土鬼(ドルク)諸候国連合帝国の、二大国が対立していました。
ここで明らかに違うのは、「トルメキア大国」と、辺境の小国「風の谷」は敵国ではなく、古くからの盟約で結ばれているため、土鬼との戦争には風の谷も出陣しなければならないということです。
ところが、同じ盟約で結ばれているペジテの姫が巨神兵を蘇らせることのできる秘石を持っていることを知り、トルメキアの皇女クシャナはペジテを滅ぼしました。ここは映画と同じですね。
偶然秘石を手にした風の谷の姫ナウシカは、ペジテの王「アスベル」に出逢い、秘石を返してしまいます。
民を愛するのと同じように蟲たちを愛していたナウシカは、世界を腐海が覆い尽くそうとする「大海嘯(だいかいしょう)」が始まっていることを予感し、謎を解き明かすために風の谷を出ていきますが、そこで様々な種族の人々と出逢いました。
 
映画では登場しなかった「土鬼」の王は、戦争の兵器として人工的に蟲を作り、腐海を広げ、巨神兵を蘇らせます。

故郷を持たない「蟲使い」と呼ばれる種族は、屍を餌にする蟲を飼い慣らし、生活のために戦争の焼け跡から金銀を漁って生きながらえているため、人々からは忌み嫌われ、恐れられていました。
 
そんな蟲使いたちが唯一恐れる種族が、「森の人」です。
彼らはなんと蟲の腸で作った衣をまとい、蟲の泡を利用してマスクなしで呼吸をし、蟲の卵を食料にして蟲と共存しているのです。
人が生きてはいけないはずの腐海で生活をしている森の人は、ナウシカたちにとって幻の存在でした。
森の種族の長のような存在である「セルム」は、森全体を見渡す気高く聡明な狼のような瞳の美少年で、どこかナウシカと似ています。
 
映画ではてっきりナウシカと良い感じに見えたペジテのアスベルとはほとんど別行動で、どちらかというと原作ではセルムの方がナウシカの頼もしい支えになっているようでした。
アスベルはナウシカのことを「僕の愛する風使い」と言っているので好意は持っているようですが、ナウシカ自身は博愛主義なので一人の人を愛するということはないのかもしれません。
なにしろ蟲や人、世界中の全生命体に愛されているナウシカは、もはや原作では小国の姫の器を超えて、大天使ミカエル的存在でした。
皇女クシャナも、ペジテを滅ぼしてはしまいましたが、映画とは違ってとても清く、美しく、誰もが慕いたくなる勇敢な女性ですし、巨神兵も良いやつです。
 
物語も後半に差し掛かると、ついに腐海の謎が明らかになります。
1000年前、人類は同じ過ちを繰り返していました。
戦争で汚染された世界をリセットさせるため、「火の七日間」は人類によって意図的に実行されたものだったのです。
現在(ナウシカ達)とは違う当時の人々は、築きあげた文明テクノロジーにより、人類の生命を墓所の中に閉じ込め、世界が完全に浄化完了するのを待つことにしました。
腐海は国土を浄化させるために人工的に作られ、人類は墓所から目覚めさせてくれる道具として、
多少の瘴気にも耐えられるように改造した新人類を誕生させていたのです。
さらに、新人類との戦争を避けるため、人類はあらかじめ
新人類が清浄な環境では生きられない身体に作りあげていました。
その新人類の舞台が、「風の谷のナウシカ」です。
ナウシカたちは、自分たちが改造人間であることを知りませんでした。
それどころか、腐海で世界が覆われようが、腐海の底に清浄な世界が広がろうが、どのみち滅びる運命であることも知りません。
そんな人類の身勝手な「秘密」を知ってしまったナウシカは、巨神兵「オーマ」に命令して全ての文明の詰まった墓所を破壊してしまいます。
 
こうして原作でも、ナウシカの生還と巨神兵の絶命による歓喜に包まれ、一見ハッピーエンドで幕を閉じますが、真実はナウシカとセルムだけの「秘密」として、人々には知らされません。
映画ではこの重大な「秘密」が隠されていたため、視聴者にも人類滅亡の気配は誤魔化されていましたが、原作を理解すればハッピーエンドとは言えないことがわかります。
広がっていく腐海を止めることはできない中、清浄化された世界で生きていくことができない改造人間だけが残されれば、いずれ世界は0になる。
そうわかっていながら、これ以上の過ちを繰り返さないことを代償に、人類滅亡の道を選んだナウシカの決断は、ノアの方舟の神に近いものを感じました。
その後アースダイバー神話が生まれたのでしょう。
 
 
@ながれ