『誘拐(筑摩書房)』:本田靖春
こんにちは、ながれです。
みなさんは、戦後最大の誘拐事件「吉展ちゃん事件」の全貌をどれほどご存知でしょうか。
正直なところ、平成生まれの私はこの事件のことをほとんど知りませんでした。
『誘拐』は、元読売新聞の社会部記者であった今は亡き本田靖春が、ベテラン刑事さながらに追求した吉展ちゃん誘拐事件の壮大な捜査記録です。
- 作者: 本田靖春
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/10/05
- メディア: 文庫
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戦後日本を代表するノンフィクションの書き手の一人である本田靖晴は、講談社でも数々の代表作を出版してきました。
この2019年度には講談社創業110周年を記念し、「講談社ノンフィクション賞」が「講談社本田靖春ノンフィクション賞」に改称されるほど、その才能は折り紙つきの人物なのです。
そして『誘拐』は、ずぶの小説好きの私が、ノンフィクションのよさに目覚めるきっかけとなった作品でもあります。
この本をご紹介する前に、「吉展ちゃん事件」とはどのような事件だったのかを、Wikipediaでも記されているであろう範囲でご説明します。
事件を知っている人は飛ばして下さい。
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犯人は被害者宅に身代金を要求し、これを奪取することに成功しました。
この事件を契機に、犯罪捜査における通話の逆探知が認められるようになり、
日本初の報道協定が敷かれますが、
「空白の3分」での警察の不手際により、事件は未解決のまま2年が過ぎてしまいます。
公開捜査に踏み切ってからは、犯人からの脅迫電話を公開し、
メディアを通じて日本全土の注目を集めました。
その関心度の高さから、「戦後最大の誘拐事件」といわれるようになったのです。
さらに、警視庁上層部の問題意識は深刻なもので、
日本初の「誘拐捜査専門部隊」として、捜査一課に特殊犯捜査係が設置された事件でもあり、
刑法の営利誘拐に「身代金目的略取」という条項が追加され、
通常の営利誘拐よりも重い刑罰を科すよう改められました。
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無識な私は、日本の犯罪捜査に様々な影響を及ぼしたこの事件の犯人像を、感情のない鬼のような人物だろうと考え、疑いませんでした。
しかし『誘拐』を読み進めていくうちに、胃液の中でいつまでも消化されない小石が次第に大きくなっていくのを感じ、ついにはそれが、はっきりとした「迷い」となって現れたことに戸惑いました。
本田靖晴はこの事件を、犯人側にも、被害者側にも、警察側にも偏ることなく、関係者全員の身のまわりにおこった事実だけを記録しています。
本を読みだしたばかりの頃は被害者側にあった自分の心が、いつの間にか犯人側に偏りかけていることに気付いた私の胃の中にある石の正体は、「悪とは何なのか」という疑問そのものでした。
この事件を捜査していた堀刑事は、
「犯罪者というのは、社会的に追い詰められてしまった弱者の代名詞なのではないか」
と言います。
貧困が、犯罪者を生む。
それは、幼少期に私たちがアンパンマンから散々学んできたはずの、「罪を憎んで人を憎まず」という教訓でした。
とはいえ被害者の苦悩は計り知れないもので、「うちの子に間違いありません」と答えた父親のことを想うと、紙でできているはずの本のページが、まるでそうではないかのように重くなり、何度も瞼を閉じてはひと呼吸置かなくては、めくることができませんでした。
取り調べを打ち切ろうとする上層部に対し、平塚八兵衛が
「肝腎のホシではなく、デカが肩のホシ(階級)を追うようになったら終わりだ」
と感情を爆発させるシーンでは、組織というひとつの世界を変えようとする平塚の姿に目頭が熱くなり、鳥肌がたちました。
本格ミステリも顔負けのこの大作を 1年3ヶ月で書き上げたという本田靖晴さんに心から感服いたします。
これほど面白いノンフィクションは、私にとって『誘拐』が初めてでした。
是非読んでいただきたい本の一冊です。
@ながれ